とある歴クラ見習い審神者の備忘録

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徳美「山姥切≠本作長義!?」参加レポ

徳川美術館の講演イベント 「山姥切≠本作長義!?~徳川美術館が守り、伝えるもの~」5/3の部に参加してきました。
今回、大好評につき第二弾が開催されるため、5/11日まではネタバレ控えてねの告知がありました。
ということで今回の記事は予約投稿なんですが、うまくいくかな…?
(うっかり失敗してたらすぐ下げますのでご勘弁…)

ワンクッションがわりに日中のこと

この日の日中は「ゴールデンウィーク特別企画 武将と刀―記念撮影と体験― 」という企画を覗いてきました。
だって、長義の実物大パネルと記念撮影できるとか言われたら…!
パネルとはいえ、こうして持つとやっぱり存在感ありますね。
とはいえ、ガラス越しで見たときのあの威圧感はないような…?
(「豪壮な」とか書かれる他の作品よりも長義のほうが威圧感感じるのはなんでだろう…?)
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ゴールデンウィーク企画のメインである体験は、太刀、刀、短刀、脇差を装備して、所作を指導してもらいつつ写真や動画を撮ってもらうというものでした。
指導役は、どうやら名古屋城で鉄砲の演武とかされている方の模様。
なんとなく流れで、太刀の体験にいってきました。
太刀をはいて抜刀、八相の構え、袈裟斬りの動き、納刀という順です。
太刀をはいたときの可動域(下げてる部分の可動域)って思っていたより短いんですね。つけてる部分ごとぐるっと回せるとはいえ…
そしてちょっとだけ居合を体験させてもらったときの感覚で腰をひねって抜刀したところ、それでは馬から落ちてしまうと…。
なるほど。刀を天神差し(反りを下にして差す差し方)したときとは違う動きが必要になるのですね。
納刀も、位置と角度の問題で、ちょっとばかり難しかったです。(見てた側にはスムーズにできてるように見えてたようですが…)

他の審神者さんが連れてらっしゃる近侍がとてもかわいらしくて、体験エリアすみっこでちょっとお写真とらせていただきました。

お昼は喫茶室。今日のずお玉はルビー色。
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ちなみに二回目に行ったときにはサファイア色でした。

講演

なんと今回の講演は、募集100名のところに1000人ほどの応募があったとのこと。
(賛助・友の会優先という文言見てあきらめた人やGW真っただ中という中での旅費を理由にあきらめた人も見かけたから、参加したかった総数はもっといそうですよね…)
ちなみに…この手のやつで賛助・友の会「だけ」で席を埋めてしまうと、何かのルール的にアウトらしいので、一般枠は必ずあるようです。
(でも、そもそもこれまで賛助・友の会だけでいっぱいになるほどの応募がなかったから考える必要なかった模様…)
なので今回、賛助だろうと友の会だろうと、落ちた方いらっしゃいます。

今日の講演の内容は、いずれ論文として出されるということでしたので、正式版はそれを待ってもらうということで。

まずは刀工国広についての概略と、長尾顕長についての概略。
山姥切国広の作刀&長義の銘打ち場所については、足利説と小田原説があるわけですが、原先生は足利説を押されました。
それも現時点での最新説である岩田氏説(堀川国広とその一門)に対して肯定と反論まぜまぜした形でです。
これも論文に載るかなー。わくわく。
論旨としては、当時既に古い刀は威信財であり使う目的の物とは扱いが異なるため戦場に持ち込んだとは考えづらいこと、包囲された小田原から人だけ逃げることはできても、名刀を持って逃げられるとは考えづらいこと、でした。
これまで出てる各種の説よりも説得力あると思います。
(思考遊びレベルで反論するなら、このちょっと前まで長尾さん反乱おこしてるので改めて臣従を示すために持ってくとかないですかね?って方向とか…?あと領地にあって敗北後没収対象になった可能性考えるなら肝っ玉ばーちゃん妙印尼の元にあった可能性とかないのかしらとちょっと思いました。これは歴史学素人な歴クラ見習いの戯言ですが。)

なお原先生は、岩田氏説のうち磨り上げを国広以外が行ったとする部分については肯定的に見てらっしゃいました。

尾張徳川における長義の記述変化と、それ以外の名物・お家名物・通称のある刀の記述比較は圧巻でした。
長義に付属している折紙は、尾張家で買った時点からあるものなのだとか。
購入時点から昭和期に行われた調査まで「山姥切」の名前につながるものがないことと、名物帳に記載のないお家名物にまで「名物」と表記されたこと、名物でない号付きの刀も通称名で記載されていることなどが示されました。

山姥切の逸話の話、以前しらべたこの記事、大体肯定してもらっちゃいました。わーい。
山姥切の逸話を追いかけた話 - とある歴クラ見習い審神者の備忘録
(というか、先生にこの記事見られてたっぽいことが後でお話してる中で判明…)
自力ではちゃんと読めなかった杉原氏押形の文章を活字化していただいたのとても嬉しい。


そして…実は二点ほど、講演が終わった後に原先生のところに異議申し立てを行わせていただきました。
本筋とは関係なくて、「尾張家の長義が刀剣界に認識された時期」と「山姥切国広の模作元が尾張家の長義だと指摘された時期」について。
(めちゃくちゃ緊張しましたよ。「この時点で記述があるので文献見てみてください」ってだけの話ではあるんですけど、私アカデミックな質疑応答の類とは縁がない身ですので…)

まず、「尾張家の長義が刀剣界に認識された時期」についてですが、明治の時点で今村長賀氏が尾張家の長義を見て、剣話録の中で言及しています。
剣話録. 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション(126コマ232p4行目から。ネットで見れます)
この話をしていたら「あの時出してたのかー」といような反応をいただきました。徳川美術館ができる前、大曾根屋敷があった時代に、ごく限られた方をお招きして観覧する場があったのだとか。そういう背景は本だけだとわからないのでとても面白かったです。
「山姥切国広の模作元が尾張家の長義だという指摘」についても、実は新刀名作集の本文中においてなされています。
(とはいえ、この二点が変わっても、原先生のお話の全体に変化はないと思いますが)

あと、本筋とまるで関係ない部分なんですが…スライドの中で、「現役で使われている刀箪笥」の写真を見せていただきました。
…すごくないですか?引き出しをあけると白鞘がごろごろしている箪笥ですよ?
説明聞いたところでどよめきが起きていました。
…徳美さん、入り口の敷居はものすごく下げておいてくださるけど、ふとした時にこういう尋常じゃないところが見えるのがとても面白いとおもいます。
そして収蔵庫の手回しエレベータ写真も見せていただきました。
(当たり前ですが、それが「どこ」なのかはトップシークレットということで明かされませんでいた。あくまで内部の写真だけ。)

長義の太刀姿(裏面)鑑賞

この日のサプライズ。蔵帳の実物のいくつかを生で見せていただきました。
明治5年の蔵帳、写真で見たときに思ったんだけれど形状の比率がおかしいw
いや、よくあれを製本したなと…
表紙から見ても真横から見てもシルエット変わらないんじゃないか?って状態なんですよw

そして更には本作長義をこのときだけ展示替えしてくださって太刀姿(裏面)を見せていただくことができました!
表に比べるとちょっと刃文のブロックがまばらで、おとなしい印象。(他の刀と比べれば十分すぎるほど派手なんですが)
刃の高さもちょっと低いのかな?
木はばきも鞘部を外してから角度を変えて、中が見やすい状態で見せていただきました。

スイーツタイムと質疑応答

マル秘スイーツはこんな素敵なものでした。
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(ちなみにこれ、鑑賞タイムのうちに撮影したものです。スイーツタイムはちょっと人が多すぎて、撮影のためだけに近づくの厳しかった…)
お手持ちのアイテムがあればご一緒に撮影していただいても、みたいなアナウンスがあってみんな笑っておりました。

(作成に当たってはパティスリーに無茶なお題が行ったようで…よくこんな素敵スイーツになったなぁ…w)
セッティングと、長義形菓子きりということで、「ケーキ入刀…」という声があちこちからちらほら聞こえておりました…w

あとですね…鯰尾&長義の刀剣菓子切りがとうとう商品化されるとのこと!
通販もされるようです。
(刀剣グッズ系の通販をすると、分量的に売店の店長さんはとても大変らしい…おつかれさまです。そしてありがとうございます…)
徳川美術館オンラインショップ THE TOKUGAWA ART MUSEUM ONLINESHOP

スイーツタイムの途中から、大変かろやかな司会によるご挨拶&質疑応答タイムがありました。

真面目パートの中では、徳美では「刀剣女子」という言葉を館のほうから使うことはない、という意思表明がなされました。
なぜなら…入り口は刀でも、古美術、更に徳美そのもののファンになってほしいから、なのだとか。
確かに、徳美さん、すごい品が大量にあって、いろんな講座があるからいろんな切り口の見方を教えてくれる、とても面白い場所なのですよね。
気になる品の由緒からの連想ゲームでも、どこまでも分野が広がっていくんですよ。
私の場合は長義→関東を中心とした戦国、鯰尾→幕末期の所持者→尾張の幕末という歴史方向の興味と、物語としての絵巻への興味(これは実物はあんまりで、講座ばっかりですが)、なんかカワイイなというところからの婚礼調度あたりが美術館行くときのサブジャンルになっています。
どこまでも知識欲が満たされる場って楽しいし、学芸員さんって、対象と手法がアカデミックなだけで気質としては我々ヲタに近いから、本気で質問しに行くと本気で答えてくれますし。

そして展示予告があったのですが…次回展覧会「裂(きれ)の美」において、物吉貞宗の刀袋(前期)や南泉一文字の刀袋(後期)の展示がなされるということです。
物吉の刀袋は全部で四点あり、内二点は図録掲載があるものの残りは掲載されたことがないのだとか。(それを全部出すと言っていたような…。図録掲載のある刀袋が確かとうらぶ物吉君の極衣装のデザイン元の一部では?ってなってるやつなので、そっちも見れるんだったら嬉しいな。)
南泉一文字の刀袋は今回初展示ということです。南泉一文字という文字が織り出してあるそうです。
ということで、そのあたりの付属品が気になる方は次の展示のときもぜひに。
(個人的には、よく物吉グッズの柄に使われるうさぎさんの布とかでないかなーとか、復元版の金ぴか羽織とか見てみたいなーなどと…)

質疑応答時、ローテンションの原先生が、専門にちょっと近い部分の質問受けたときにテンション上がってるのが見えたのがちょっと笑えました。
長義の銘の中で「屋形」という言葉の前に空白が空いているのはなぜですか?という質問が出ていまして。
偉い人の名前を書くときに敬意を示すために一字~二字下げる「けつじ(欠字/闕字)」なのだとか。
(兼さんが修行お手紙でやってたあれですよー)

物吉貞宗の前に置いてあった物吉・南泉と書いてあった冊子は、物吉記と南泉記(物吉貞宗と南泉一文字に関する、伝説混じりの由緒書)を合冊したものだそうです。
…中見たい(というか、読みたい!)
同じことを思った人は、ぜひリクエストを売店奥の目安箱に入れてきましょう。徳美さん、真面目に知りたい・学びたい系リクエストに対してはかなり答えてくださいますので。(かなうのは年単位先だったりすることもあるけれど。)

追記

今回「逸話」についてばっさりと切りにかかった原先生ですが、同じように「しかみ像を家康自戒の像とする逸話」もばっさりと切っています。
ですがその論文の中でこんなことも書かれています。
「これが八十年前の創作だったとしても、一つの画像解釈として広く支持され続けたことは確かで、これもまた本図継承の歴史の一部ということができるであろう。もとよりその浪漫性や作品に対する想いまで否定するつもりはない」
(『金鯱叢書』H27「徳川家康三方ヶ原戦役画像の謎」 PDF32p)
新たな「伝説」を作ってしまわないために事実関係を明らかにすることは大事です。
ただ、それとは別の軸として、これを同じように適用してもいいと思いますよ。
(5/12追記)

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