とある歴クラ見習い審神者の備忘録

調べたこと・面白かったものと、自分が調べるときにあったら便利だったなと思うまとめを置いておく場所

徳美定期研究発表会「『建中寺墓地改葬日誌』について」行ってきました

徳川美術館の定期研究発表会を聞きに行ってきました。
今回のテーマは「『建中寺墓地改葬日誌』について」
既に発行済の金鯱叢書第48輯の内容と、そこに書き切れなかった内容について、の会でした。
論文は、徳美のサイトからPDFが閲覧できます。
金鯱叢書 | 出版・刊行物 | 調査・研究・教育 | 名古屋・徳川美術館

f:id:waterseed-crown:20220123202914j:plain
なんでこれが気になったかというと、以前「祈りのこころ 尾張徳川家仏教美術」という企画展のときに、この建中寺の墓所が発掘されたときに出てきた刀が出ていましてね。
銘が来国光と貞宗でびっくりしたということがありました。
徳美「祈りのこころ 尾張徳川家の仏教美術」 - とある歴クラ見習い審神者の備忘録

研究発表では、改葬に至る経緯の話と、二代光友の墓の発掘のあたりが主に紹介されました。
名古屋では戦後すぐ、全国に先駆けて土地区画整備の決議が行われ、市街地の墓地は被災状況にかかわらず郊外に移転することとなり、尾張徳川の菩提寺である建中寺もそのとき改葬することになったそうです。

以前の刀が出てきたときには、よく無事だったなと思っていたのですが、墓所は防水・防湿を施した作りになっていたのだとか。
(それでも、浸水してしまっていた墓もあるようですが)

なかなか興味深いテーマだと思うのですよ。
夏の展示テーマに「大名の冠婚葬祭」ってのがあるので、そこでまた取り上げられたりするのかしら。楽しみです。
f:id:waterseed-crown:20220123203040j:plain

論文には載っていないものとして、墓所の改装前に撮影された写真のスライドが出てきました。
なかなかうっそうとした感じで草木が茂っている状態なので、よくイメージする墓のイメージというよりは、森の中に墓がある、というような具合でした。
論文では「倒壊」とだけ書かれていた墓石が、見事にひっくりかえっている図のインパクトがすごかったです。


あと、この日誌と図を見た後だと、尾張家の歴史書である尾藩世記に出てくる埋葬の描写の解像度が上がるのがとても面白いと思います。
三代綱誠の墓について、日誌だと、浸水していて詳しい様子はわからず、遺体といくつかの副葬品を回収しただけという感じなんですけど、尾藩世記のほうには棺のサイズだとか副葬品として入れた刀とか、内棺に朱と石灰を入れたとか出てくるんですよ。
(といいながら数値を追いかけてみたら、尾藩世記の綱誠の棺、高さの数値が明らかに小さいんですけど転記や翻刻時のミスか、まじで小さいのかどっちなんだろう…尾張叢書内のやつを見てます)


f:id:waterseed-crown:20220123203142j:plain
喫茶室で限定スイーツもいってきました。
鬼さんたちとても可愛いし美味しかったです。