個人的にあると便利とおもったのでまとめてみました。
刀剣乱舞実装刀のうち、誰でも見れる状態の写真・押形のリンクです。
収集基準は以下の通りです。
写真が見つけられていないものと、絶対に写真が出てこないものとありますので、写真がないことが明白なものも一旦名前を並べています。
あと、DNPイメージアーカイブスさんのところは、有償利用用画像のサンプルという性質上、直接のリンクは避けています。
がんばって探しているわけではなく、知っているものを並べているだけなので、twitterかマシュマロあたりで教えてもらえたら追加します。
No5.小狐丸
基本的には創作上の存在として認識されている。
小鍛治の小狐丸と結びつけられる刀は複数存在する
No7.石切丸
No13.大典太光世
No15.ソハヤノツルキ
No17.数珠丸恒次
No19.にっかり青江
No23.鳴狐
No27.鯰尾藤四郎
- DNPイメージアーカイブス TAM90819,TAM90821 拵:TAM000858
- 徳川美術館twitter
- (図書館限定送信)光徳刀絵図集成 32コマ
- (図書館限定送信)黎明会名刀図録 37コマ
No29.骨喰藤四郎
- インターネットミュージアム取材レポート「徳川家康没後400年記念 特別展 大 関ヶ原展 」 ※動画なので写真だけでよい場合、こちらのリンク集目次部分の写真のほうがよいかも
- (図書館限定送信)光徳刀絵図集成 32,33コマ
No33.厚藤四郎
No35.後藤藤四郎
- DNPイメージアーカイブス TAM90823,TAM90825
- 徳川美術館twitter
- (図書館限定送信)黎明会名刀図録 35コマ
No39.前田藤四郎
No41.秋田藤四郎
No43.博多藤四郎
No45.乱藤四郎
No47.五虎退
No49.薬研藤四郎
No55.鶯丸
No57.明石国行
No61.愛染国俊
No63.千子村正
特定の刀を指していないため、対象外。
No65.蜻蛉切
No67.物吉貞宗
- DNPイメージアーカイブス TAM000861、TAM000862 拵:TAM000856
- (図書館限定送信)黎明会名刀図録 79コマ
No69.太鼓鐘貞宗
- 日本名宝物語. 第1輯 129コマ
- (限定送信)正宗とその一門※目次から確認
No71.亀甲貞宗
- e-国宝
- (限定送信)正宗とその一門※目次から確認
No73.燭台切光忠
- インターネットミュージアム 刀剣乱舞に登場する刀まとめ
- DNPイメージアーカイブス TGM000565
No79.江雪左文字
No83.小夜左文字
No93.陸奥守吉行
No97.山伏国広
No101.蜂須賀虎徹
No103.浦島虎徹
No116.大倶利伽羅
- 日本名宝物語. 第1輯 129コマ
- (限定送信)正宗とその一門※目次から確認
No118.へし切長谷部
- インターネットミュージアム 刀剣乱舞に登場する刀まとめ
- DNPイメージアーカイブス FCM1978P000210003 拵:FCM1978P000210001
No120.不動行光
- インターネットミュージアム取材レポート「上杉家の名刀と三十五腰」 ※動画掲載が終了しているため、こちらのリンク集目次部分の写真のほうがよいかも
- (図書館限定送信)刀剣と歴史. (201) 口絵
No124.小烏丸
No128.同田貫正国
特定の刀を指していないため、対象外。
No132.太郎太刀&No134.次郎太刀
真柄の太郎太刀とされる刀は複数存在する。
No136.日本号
- インターネットミュージアム 刀剣乱舞に登場する刀まとめ
- DNPイメージアーカイブス FCM1978P000390001、FCM1978P000390004
No138.御手杵
戦時中焼失。町おこし目的で作成されたレプリカ・写しが複数存在する。
No140.巴形薙刀
特定の刀を指していないため、対象外。
No142.毛利藤四郎
No144.篭手切江
No146.謙信景光
No148.小豆長光
逸話時点で存在する・しないの論争がある。
小豆長光とされた刀の写真が足利の長林寺にあるが、形状から室町時代の刀ではないかとの談があるため、誤伝と思われる。産経ニュース2017/3/14「長尾家の宝刀「小豆長光」今どこに? 足利の長林寺に写真」
No150.日向正宗
No152.静形薙刀
特定の刀を指していないため、対象外。
No154.南泉一文字
- DNPイメージアーカイブス TAM92126、TAM92125 拵:TAM000859、TAM000854、TAM000853
- 徳川美術館twitter
- (図書館限定送信)光徳刀絵図集成 65コマ
- (図書館限定送信)黎明会名刀図録 103コマ
No158.山姥切長義
正式名称は「刀 銘 本作長義天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住国広銘打 天正十四年七月二十一日小田原参府之時従 屋形様被下置成 長尾新五郎平朝臣顕長所持」
「山姥切長義」の呼称は昭和期の俗称であり、徳川美術館ではその呼び方をとらない。