とある歴クラ見習い審神者の備忘録

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模作の芸術性の考え方

少なくとも、日本の美術においては模作というのはマイナス評価されるものではないし、模作であっても立派な作品と見なされる、という話は皆さん比較的早い時点で目にしているかと思います。
なんのこと?となった方は、私の説明よりわかりやすいブログがあるので、ぜひそちらをご覧ください。
(個人的あこがれな方のおひとりです)
katana-log.com

展示そのものではなくニコ生の紹介番組を見ただけなんですが、東京国立博物館の特別展「名作誕生-つながる日本美術」も、模作から新しい作品が生まれていく流れがとてもわかりやすかったと思います。

なんですが…この考え方、ずっと共有されていたわけではなさそうだなといのが今回の話です。

今回話題にするのは、昭和27年から昭和35年まで刀剣関連雑誌上で行われた論戦です。
まあ論戦というより、炎上記事と言った方が適切かもしれませんが。
昭和27年に宮崎富次郎氏が「宗珉論」を『刀剣と歴史(14)』に発表しました。その中で有馬家伝来の二王の目貫について酷評しています。

有馬家の仁王目貫とのことなので、たぶんe-国宝に載っているこれのことかと思います。
二王二所物 - e国宝
少なくとも現代における評価は名品あつかいで間違いないと思いますよ。
アップ写真や解説を見たい方はこの本おすすめです。

"超絶技巧"の源流 刀装具

それに対して石谷富次郎氏が昭和28年「宗珉論を読んで」『刀剣美術(24)』で同調し、さらに「創作と模写」というタイトルの批判を『刀剣美術(25)』に掲載しています。後者から引用しますと「先人に類似の作品があっては参考価値はあるかも知れないが、全然芸術性は無いものと見るのが至当ではなかろうか」と。
石谷富次郎氏は「やすめざや」というエッセイ集でも宗珉の二王目貫について批判し、それに対して川口大臥氏が『刀剣史料(13)』で批判をしたようです。(これについては原文未確認)
それに対して石谷富次郎氏は昭和35年の『刀剣趣味(21)』で「模写は芸術ではない」というタイトルで再反論をしました。
主張内容はタイトルそのままなので明確ですね。
「いくら見事に本科そのままに模写してあってもそれは単なる人真似に過ぎぬ。」「模写を芸術扱いするような邪道は、漸次影をひそめる時代が必ず来ると云うことを、核心してペンをおくものである」
また、同氏の賛同者はある程度いそうなことを、本文中に書いています。
一番のやり玉にあたっているのは刀装具なのですが、氏はこの主張はあらゆる芸術作品に対して言えることであると主張しています。

もちろん、これが全面的に受け入れられていたわけではありません。
翌号からちょっとした論戦のような状態になります。

『刀剣趣味(22)』に勝矢俊一氏が「模写と模倣(宗珉の仁王論)」を寄せました。
論旨は、模倣は芸術ではないが模写は芸術でないとは限らないこと、仮に模写が芸術でないとしても宗珉の仁王は模写とはいえない(よって芸術である)
更に『刀剣趣味(23)』に佐藤良樹氏が「宗珉の仁王は模写ではない」という文を寄せています。

…論調がだいぶ弱いように見えるんですね。
少なくとも、現在において日本の伝統美術を語る場面で「模写は芸術ではない」なんて出したらフルボッコされると思うんですよ。
でもこの場面で出ている反論は「芸術でないとは限らない」「該当作は模写とはいえないから芸術である」と、かなり控えめな主張です。

発端の宮崎氏に対して本阿弥光博氏が「宗珉の芸術」『刀剣美術(17)』で反論しているのですけれど、この光博氏も、模作の芸術性否定こそしないものの昭和26年『刀剣美術(7)』掲載の「山伏国広」(愛刀自慢エッセイ)の中で「芸術においてはこの独創こそ最も尊敬すべき事実なのです。よく世間には衒気満々として彼らに古人の模倣にのみ心を砕いて居る様な同作もありますが、之には精気が乏しいではありませんか。完成されて居て結構かも知れませんが、之から延びんとする力強さが足らぬのではないでせうか。」と書いています。

以上から、模作の芸術性を低く見る、あるいは否定する論調が、昭和30年前後においては一定数の支持受けてたんじゃなかろうか、と思うわけです。
そう考えると、ちょっと納得できる出来事もあるんですよね。
刀関係の技術職で十指に入るようなご重鎮の方とお話する機会があったときに足利で行われた山姥切国広展の話になったことがありまして、そのときにその方、「写しの刀であること」を理由にかなりぼろくそにおっしゃいまして…「日本美術において模作はマイナスではない」という概念だけを知っていた私はとても混乱したのです。
ただ、かつて模作をマイナスとしてとらえる見方があったのであれば、そのあたりの影響によるのか、と理解はできるのです。
たぶん世代的には、上記の論があった時代より一世代後なので、そういう方々の薫陶を受けたんだろうな、と。

そもそもなんでこんな資料見つけたかといいますと、山姥切の逸話を追いかけた話の記事補強しようと、出版年絞って資料あさってる最中に「模写は芸術ではない」の論考タイトル見ちゃいましてね…。
そのときのビクっと感をご理解ください……
(ちなみに、山姥切国広の再発見が昭和35年でございます…)


ということで、今回は以上です。
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